「学校に行けない子どもたち」はもはや特別な存在ではない【西岡正樹】
■「女の先生のクラスになったら、学校に行きます」
「女の先生のクラスになったら、学校に行きます」
小さい声でしたが、S子の意志を強く感じる言葉でした。
「女の先生だったら、本当に行くのか」
S子は小さく頷いたのです。
まだ若かった私には、その言葉を聞いた瞬間に、自分のやるべき事が決まっていました。私は事の顛末を校長先生に報告しました。すると
「西岡さんの気持ちはどうなんですか」
「僕は、S子の言うとおりにしてあげようと思ってます」
「保護者からいろいろ言われること分かるでしょう。良くは言われないよ」
「僕はどう言われてもいいです。女の先生のクラスになったら、S子は学校に来ると言っているので、それが第一優先です」
校長先生は私の方針に異を挟みませんでした。そして、私のやるべきことは決まっていました。その後、学年の先生方に「S子のこれからのこと」を話し、納得してもらえました。さらに、学年で今後の流れを話し合った結果、S子は、A先生のクラスに引き受けてもらえることになったのです。
学校の方針が決まったので、私のクラスの保護者に事の経緯を説明しました。私は、保護者に自分の意志を明確に伝えた。すると、私の予想に反し、反対の声は全く聞かれなかった。むしろ、「先生はそれでいいんですか」と、こちらのことを心配してくれる声が大きかったのには、驚きました。
そして、最後の最後。クラスの子どもたちに経緯を説明しました。すでに子どもたちは大方のことを知っていました。だから、もしかしたら、子どもたちの方が複雑な思いを持っているかもしれないなと、思いながら話を続けました。すると、子どもたちから様々な声が挙がり、その中に
「そんなのわがままなだけじゃん」
という声もありました。多くの子どもも、同じように思っているのか、多くの子どもが頷いていました。
「でも自分事として考えてみろ、○○はこのクラス嫌だからって、たった一人で他のクラスに行くことできるか。先生はできないな。それでもS子は行くって言うんだから、先生は行かせてやろうと思う」
私自身、複雑な思いを持ちつつも、「S子を学校に来させる」という思いだけで話をしました。子どもたち全員が、ようやく納得したところで、話を終えたのです。そして、5月下旬、S子は「隣の、隣のクラス」に移っていきました。
それから2年間、5学年、6学年とS子は大過なく登校し続け、Y小学校を卒業しました。S子が連休明けにクラスを替わった時、一つの「当たり前」が崩れましたが、また、一つの「当たり前」が守られた瞬間でもあった。これから先、また、同じことがあったら、私が同じことをするとは思えません。しかし、「その時にも何を大事にしなければならないかを考え、その優先順位に従い、行動する」ということは、同じなんだろうなと思っています。
余談ですが、20数年後、S子のお母さんと会った。私が行きつけのコンビニで働いていたのです。
「今、S子が西岡先生に会ったら、どうなるんだろうなと思うんですよ。彼女も苦労しながらも、会社勤めしていますから、大きな変化はあると思うんですけどね」
「会ってみたいですね。案外平気かもしれませんよ、今なら」
ふたりして笑い合い、20数年前をお互いに蘇らせていました。